教養は若者にとっては気品である

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Date:2012.03.27

若い時に受ける知的刺激は強烈である。教科書に載っていたディオゲネスを描いた絵は、私に強烈な印象を残し続けている。それは、白昼にランプを持ち「人間を探している」と言って、街中を歩き回っている絵である。大哲学者ディオゲネスは、犬のような生活をしていて、市井の人にその生活ぶりを非難された時、そう応じたのである。

ディオゲネスは、デルフォイのアポロン神殿の入口に刻印されている格言「汝自信を知れ!」と言ったとされ、「無知の知」を説いたソクラテスの孫弟子である。彼は、徳を重んじ自足と不動心を旨として人生を送った。

そのディオゲネスの言葉に「教養は、若者にとっては気品であり、老人にとっては慰めである。貧者にとっては財産であり、富者にとっては装飾である。」というものがある。人生の各ステージにおける教養の意味、社会における教養の位置づけを、うまく表現していると思う。

とりわけ、「教養は若者にとっては気品である」というところに関心を持つ。教養を教育と訳す人、気品を節制と訳出するものもあり、訳語によって多少印象は異なる。しかし、自分の精神を耕作し(culture)、自分を構築すること(Bildung)は、自己を形成し発展させること、そして個人から香り立つ徳と美の源泉になる。単なる知性ではなく、理性の働きがそこにある。この言葉を、無為自然を説いた犬儒派、シニシズム、キニク学派に数えられるディオゲネスが言ったのである。

確かに、現代の高度分業社会において、専門に通ずることは重要である。しかし、専門を本当に活かすには、専門的な知識や技術を実生活で善用し実践するための教養が必要不可欠である。教養を身につける努力を続ける若者達が放つ気品に満ちた将来を願い、そして、専門が人間性に溢れる教養と美しいコラボレーションをなすことを個人的にも追い求めていきたい。(H)

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