窮極絶対的な美について

記事
Date:2013.08.22

個人の精神的営為は、正義と真善美の追求であるという。その中でも、美の追求を最高位のものとする主張がある。古代ギリシャの彫刻群の美しさに目を見張りつつ、その当時の美の考え方について触れてみたい。ここでは、対話法の素晴らしさに光り輝くソクラテスの思想を見てみたい。(アフロディテとエロースの話を中心に、少年愛は触れない。)

プラトンは、『饗宴―恋について―』の中で、ソクラテスの「美のイデア」を明らかにしている。ソクラテスは、恋(エロース)の道について、マンティネイアの婦人ディオティマの語る「最奥の秘儀」として、大概次のように述べている(210 A-E)。

年若いうちは、美しい一つの肉体を恋い求め、美しい言論を生みださなければならない。そして、どの肉体の美も他の肉体における美と兄弟関係があり、容姿における美を追求する段階に至る。肉体に対する美は同じ一つのものであり、美しい肉体全部を恋するものは、一つのものに対するあの激しさを蔑にし軽視することになる。

次に、肉体のうちにある美よりも、魂のうちにある美を貴重なものと考えるようになる。肉体の花の輝きが乏しくとも、満足してその者を恋しその者ために心配し、そして若者たちをより良くするような言論を生みだし探し求めなければならない。肉体に関する美を些少化するために、人間の営みや掟に内在する美(節制)を眺めなければならない。

そして、美を求める恋(欲求)は、知識を求めることへと導かれる(愛知)。あらゆる知識の美を観取すれば、その眺める美は広大な領域にわたることになる。個々の肉体や営みや掟に捉われることなく、美の大海原に向かい、それを観想し、惜しみなく豊かに知を愛し求めながら、美しく壮大な言論や思想を数多く生み出すことになる。

そして、突如として真の徳、善きものと結合して、美の奥義(アフロディテ)に達するのである。

美しい人生は、誰もが求めるものである。法科大学院生にとっては、新司法試験に合格した先達の学問活動を見、考え、工夫して、自らの勉強の仕方を生み出していく。そして、ただ、ひたすら、学を修し、研鑽すること(正法眼蔵に説かれる様々な行持)が、窮極の美への行程となるのではなかろうか。

「愁色彩駒沢公園」。もうすぐ、秋学期が始まる。真剣に、熱意に欠けることなく、今を生きていこう。(H)

駒澤大学法科大学院 Official Blog